お客様日記②もう一周行こう!

紙袋六良の小話
スポンサーリンク

この日は臨時で慣れない駅の担当になった。

ちいさな駅でタクシーは数台しか止まれない。お客様の単価が低いため、営業所の誰もやりたがらない地区になっていた。一日平均50回はお客様回転するのに売り上げは4万円が良い所。足切りにすら届かないわけだから、確かに誰もやりたがらないよね。

そんな事を考えていた夜だった。駅前は静かになりかけて僕の車に二人の酔い客が近付いてきた。
お客様かな?そう思い後部座席のドアを開けた。

運転手さんどこどこまで千円でいける?先に千円渡しておくから、送り届けてくれるかな?

 

 

正直微妙な金額だった。信号2回引っかかると怪しいなと考えていた所、この2人はまだ会話を続けていた。

専務今日は楽しい時間でした!今後もよろしくどうぞお願いします

 

 

いやいや……先輩そのようにかしこまらないで下さい

よくある接待の風景だと言えばそんな感じだし、僕はそこまで興味もないまま開けた後部座席から入ってくる風と時間を過ごしていた。

しばらくしてやっと一人の男性が乗車すると、後部座席を閉めるまで何度も頭を上下する男性が寒空の元で笑顔を絶やさなかった。

僕はこの光景が正直好きじゃない。嫌いだとは言えないけれど否定的だった。行先は伺っていたから僕も会釈をして、静かに車を発車させたんだっけ。

運転手さん!メーター入れ忘れてますよ

専務と呼ばれていたお客様が僕に声を掛けてくれた。職位も疑う必要のない人間性が話しかけ方で解ったんだ。

紙袋六良
紙袋六良

お客様?この駅のロータリーの始発点でメーター入れさせていただきます

経路の打ち合わせが終わっていない事を建前に、お客様に少しでも損をさせたくなかった。
だから一度タクシー乗り場を離れ、一時停止し経路を確認する行為をした。

ここの駅は出るまでに距離がありますからね。運転手さんの心遣いはお客様の気持ちを汲み取っていますね

そんな褒められたことでは無いけれど、確かに嫌みの無い口調で専務と呼ばれていたお客様は笑顔で話してくれた。

紙袋六良
紙袋六良

お連れの方の希望もありますし、最後に僕がお客様を快適に無事にお届け出来るように気をつけます

それもまた素晴らしい!

専務は余程機嫌が良いのか、お酒の効果なのか、僕の受けごたえに笑顔を見せては頭を上下した。

紙袋六良
紙袋六良

お客様?お連れの方は大分お客様に好意的でしたけど、今日は楽しい時間を過ごせたのでしょうか?僕は人付き合いが好きでは無いので大人の裏とか表が理解出来ない部分がある様なんです。少し興味があって伺ってしまいました

そうですね。楽しい時間でした。実はね?私の大学時代の先輩だったんですよ。私の中でヒーローだったと思います。時間は酷ですね。いつの間にか社会に出て立場が逆転してしまいました

そうなんだ。お客様は何処かの企業の専務で、先ほどの男性は取引先の相手と言うわけか、それもまたよくあると言えば良くあるのかも知れない。

人間模様ってやつなんだね。

紙袋六良
紙袋六良

お客様は素晴らしい思い出と今ある葛藤の中で時間を過ごしているのですね。それもまたいい思い出に変わる日が来ると思います。僕には無い人間関係で、僕では築けない信頼関係だって思いました。憧れる反面失くしてしまう事が怖いとも思います

いやいや運転手さん? あなたは良い人だ。この一瞬のやり取りで優しさと気遣いがすぐにわかります。私達の関係は所詮会社対会社の刹那的な1つの事でしかないのかも知れませんから

大学時代の思い出とは別に今はビジネスとして時間があり、人間関係が走り出していると言いたかったのかも知れない。
けど僕は何となく、このお客様の心のすきまに入りたくなって言葉を選んで本音を話したんだ。

紙袋六良
紙袋六良

お客様……その考え方は悲しいです。僕だったらそう思っていてもきっとヒーローを信じてみたいですよ

そうですね。これは失礼な発言だったかな

少し間をおいて返されたセリフには酔いがあるかどうかではないのかなと思って、話しかけてみたのを覚えていた。

紙袋六良
紙袋六良

お客様?タクシーの運転は答えがひとつではありません。目的地が解っていてもお客様によって辿り着き方が違います。お客様の先ほどのお話の様に答えの見つけ方があるのかも知れません。ただ僕はお客様の人柄が素敵だなと思います

少し照れ臭そうにそして即答でお客様は返してくれました。

今日は本当に最後まで楽しい時間になりそうだ!運転手さんその言葉そっくりあなたに返そう!その言葉は力があるね!私も時間を無駄にしていたのかも知れない。失敗ばかりだった。だが仕事は失敗から学ぶ事の方が多かった。一つの失敗から次の失敗へ、あの時の僕の中で支えてくれたのは先輩だった。ヒーローだったんだよ!

お客様が週刊少年ジャンプのキャラになるまでには時間が掛かりませんでした。
そして目的地に到達する時間もそうは掛かりませんでした。

私はね?ヒーローである先輩の生き方や行動力を真似したんだ。後輩にも部下にもたいして構ってやれなかった。即ち良い上司でも無ければこの立場にいて良いものでもなかった

紙袋六良
紙袋六良

お客様、それはお客様の後悔であって結果では在りませんよ。今お客様は色々な感情の中、自分を責めたい気持ちが仕事の中であるのかも知れません。でも僕は思うんです。ヒーローであった先輩が今なお立場が下になってもお客様を頼るのは人望であったのではないかって

このあとお客様からは返事が途切れました。
バックミラーを確認すると涙を流す中年の男性がいて、何かを考えているようでした。

運転手さん?僕は沢山の失敗をしてきたんだ。だけどその弱さを見せる事なく頑張ってこれた

紙袋六良
紙袋六良

私はお客様乗車中に事故を起こしたことはありません。ただそれだけですよ

少し話の路線を変えないと重くなると思いそうボケてみた。

なるほど。僕ね?免許取りたての頃営業車で事故を起こしたんだよね。バックしたら下がらないの!何でだって思って降りてみたら、もう壁にぶつかってたんだよね!車の後ろしっかりと凹んでて当時の課長に新車代払えって大目玉さ!

紙袋六良
紙袋六良

それはものすごく面白い体験談で失敗談ですね。後輩や部下へはお話しましたか?その失敗談を聞いたらすごく笑ってもらえるでしょうし、この上司を先輩を頼りたいと思うと思いますよ。上司の失敗談や人間的弱さを知ると言うのは大事な事です。信頼に繋がります

確かに!こんな失敗談聞かされたら僕も普通に笑ってしまうし、弱さを見せてくれる上司を信用するだろう。こんな部分もあるのだなって思うと思う。だけど僕にはそんな勇気はなかった。即ち誰にも話せないままこの地位に来てしまった

紙袋六良
紙袋六良

それは勿体ないですね。僕だったらお客様の様な貴重なお話を自慢してしまいます

自慢になるかな?

紙袋六良
紙袋六良

なりますよ!少なからず失敗を恐れて行動出来ない後輩や部下たちの励みになります

確かにそうだね!僕も上司がそんな失敗をしていたと聞かされれば、ミスしても怖くないと思えてくると思う!これは今まで話せずにいたことが悔やまれるな

この様なやり取りを続けて目的地に着いた。
1090円だったと思う。
だけどお客様はうつむいたまま支払いを済ませようとしなかった。

紙袋六良
紙袋六良

お客様?先ほどのお連れの方から千円預かっていますので後お支払いは100円になります

六良君?このタクシーはクレジットカード払いできるのかな?

いつの間にか名前を憶えられ、名前で呼ばれだした僕はキョドりながら答えた。

紙袋六良
紙袋六良

カード払いも安心ですよ?お客様カード支払いにされますか?

もう一周行こう!何周でもしよう!朝が来るまで時間はある

この言葉には理解に苦しんだ僕は聞き返すのに間が空いた。
言葉の一つ一つが週刊少年ジャンプの暑苦しいセリフになったお客様は降りる事を拒否し、もう一周まわってくれと言い出していた。

紙袋六良
紙袋六良

お客様?僕の運転できる時間はあと一時間程です

帰庫時間を2時間前に考えて返事をしたらお客様はこう言った。

じゃあもう一周いこうぜええええええええええ!!!

ありがとうございました。
周辺を3周して1万円超えてカードでお支払いいただきました。

【タクドラ★マニュアル管理人】紙袋六良の自己紹介
タクドラ★マニュアル管理人の紙袋六良です。カミブクロ、ロクロウと読みます。このカテゴリーではお客様体験談をお話していこうと思います。時にはQ&A形式で答えたものも公開していくつもりです。タクシードライバーになるとどんなドラマがあるのか?私の...
タクシーお客様日記①
その日は雨が降る深夜の出来事そろそろ営業を止めて回送表示を出そうとした頃だった。暗闇の中、誰かが手を挙げている。そうとわかる存在感がその先に在ったわけで。ある日、出会ったタクシーの珍客僕はただハザードランプをつけて停車した。ここまでは鮮明に...
タクシーお客様日記⑤記憶に残るお客様
初めてのお客様縁があると言うのならこの時から縁があったのかも知れない。僕の初乗務は法事へ向かうお客様から始まった。即ち、一人乗務はじめてのお客様は黒い恰好をした男女のお客様だった。「丸沼霊園までわかる?」正直解らなかった。営業所からよく出る...
タクシーお客様日記③30分間のボディガード
終電時間はどこの駅も距離が出ることが期待できる。終電を乗り間違えたり、酔ってしまって寝過ごしたり、終電で帰り道の行ける所まで向かって、タクシーを利用する。理由はこんな感じで毎日が慌ただしい時間帯になる事は珍しくない。この日もそんな日だったと...
タクシーお客様日記④見えないはずのお客様
タクシー業界あるあるで申し訳ないような気持ちだけど、今回はスピリチュアルなお話でもしようと思う。タクシーは今、ほとんどの会社が手書きの日報と、デジタル日報の両方で作成するんだけど、人数記入が手書きとデジタル日報で違う時があるんだ。日報とは=...

コメント

タイトルとURLをコピーしました