終電時間はどこの駅も距離が出ることが期待できる。
終電を乗り間違えたり、酔ってしまって寝過ごしたり、終電で帰り道の行ける所まで向かって、タクシーを利用する。
理由はこんな感じで毎日が慌ただしい時間帯になる事は珍しくない。この日もそんな日だったと思う。
4~5000円の距離を対応して気まぐれに知らない駅の乗り場に着けてみたんだ。
見たところ誰もいなかったし何となくの気持ちが強かった。
先頭は当然僕だったから、知らないタクシーが後ろについたら離れようと思っていた。駅の縄張りを把握していないから仕方ない。
少しも待つことなく黒髪の女性が小走りで近付いてきた。お客様だなと思いちょっと憂鬱になりながらドアを開けた。僕は若い女性のお客様が苦手だから……

こんばんわ、この地域は不慣れなのですがお客様宜しいですか?
降りられても良いし、むしろ嫌なお客様だったら降りて欲しいと思いながらお声がけした。
「こんばんわ、大丈夫です。湘南までお願いします」
なかなかの距離だし辛かった。理由はお客様が苦手なタイプだったら困るなと思ったことと、この駅からの最短経路が解らなかったからだ。

お客様、こちらからの最短経路が解らないのでナビでもよろしいですか?
「はい、かまいません。お願いします」
断わられる理由もなくなったのだから行くしかない。アクセルを軽く踏み込んでハンドルを右に回した。
ナビの最短ルートを確認してもらい基本的にナビの指示で走る事になった僕は、挨拶して経路を確認した後は頭の中で好きな音楽を流しながら、少し早めのスピードで街から抜け出そうとしていた。
2つ目の街を抜けるとき長い信号に捕まった。ミラーを確認するとお客様はスマホをいじりながら落ち着いた様子だった。
これならあと20分ほどお互い嫌な事も起きないだろうと思った矢先に、ミラーに映る異変に気が付いたんだ。

車内のドアをロックしますね
お客様に声を掛けた。
「あっ、はい?」
僕たちの車のやや左後ろに、ふらふらとこちらに向かって歩いてくる大きな人影が見えた。

なんかふらふらしてる人がいるんで、安全のためカギを閉めました
「わかりました」
と同時に、お客様の座る窓から鈍い音が二度鳴った。ごつんごつんと握った拳でノックする音だった。
さっき確認した大きな男が客席を覗いて、舌打ちして僕を見た。これはタクシーがつかまらないから、拾いに来たんだと思い助手席の窓を少し開けて対応した。

お客様?こちら対応中ですから、次のタクシーをお待ちください
外からドアを開けようとする音がしながら、男が何か吠えているのが少しイラっとした。
まずはタクシーに触れられているのだから発車が出来ない。降りて対応するしかないやと、2~3発殴られるのかなぁとか嫌な気持ちになった。
車内を降りて何か対応する場合、お客様も降りてもらわないといけない。この状況で20代位の女の子を降ろす選択はできなかった。

お客様?カギを閉めたままお待ちいただけますか?あの男性が車に手を掛けていて発車できないので対応してきます。何かあったら警察へ通報してください
話せばわかるタイプに見えない男の近くへ僕は周り、強烈な酔い客であると匂いで判断した。
今にも文句を言いながら殴りかかってきそうだなと思ったけど言うしかないと思い、同じセリフを叩きこんだ。

お客様?こちら別のお客様を対応中です。タクシーをご利用ですか?
首を上下に振りながら怒った声で、何かを言い出したのだけど僕にはそれが何を言っているのか判断ができなかった。
スマホを握りしめて車内でうつむいているお客様を見て、早く解決しなきゃとやり取りを続けた。
この間に同業者が異変に気付いてくれたらなと期待したが、不思議と誰も通らないようで一般車が数台通り過ぎるだけだった。

お客様!いま無線で僕が他の車を手配しますから、この車から離れてお待ちいただけますか?すぐ来るように伝えますので
また首を上下にしながら、ドア付近から距離を置いてくれたので車内に戻った。戻って無線機をいじるふりをして、助手席側の窓を開けた。

お客様、10分ほどで次の車が来るそうですよ?宜しいですか?
直立して右腕を軽く上げた男を確認して車を発車させた。
ピピピと機械音がなって冷静になった僕は、殴られなくてよかったと思いお客様に話しかけた。

怖かったですね。もう大丈夫だと思います。夜は酔っている方も多いので早くお家へ帰りましょう
「本当に怖かったです。何かされるのかと思いました。あの人を乗せる運転手さんがかわいそうです」
僕も同じことを思っていた。でも僕は何もしていないんだ。無線なんて飛ばしてない。

お客様?僕先ほどの酔っぱらいのためにタクシー呼んでないんです。呼んだふりをしました。
「え?」

ですからあの人は、ずっとあそこで待つか、偶然空車で通るタクシーが対応するしかありません。不運(ハードラック)ですね、男の人もドライバーも……
「そうなんですか。運転手さんて大変ですね」

そうかも知れないですね
声が震えていたから、本当に怖かったんだと思う。

お客様がこの車に乗っている間は、僕がお客様のボディーガードですから、ケビンコスナーじゃなくて申し訳ないのですが……
「いえ、安心です」
笑顔を見せたお客様を確認して、残り10分ほどの距離を僕は無言で走った。目的地まで到着し、お客様はカードで支払いを済ませた。

ありがとうございます。気をつけてお帰り下さい
「はい、今日はありがとうございました」
ドアを閉めて日報を記入してお客様の忘れ物を確認した。料金トレーに1000円とカードが置いてあった。
【ありがとう】
怖かったんだなと思ったのと、ボディガード料金を頂いたのが少し申し訳なかった。
回送表示に切り替えて近くのコンビニでトイレを借りて、大して好きでも無いブラックを飲んで休憩した。
こちらこそありがとうございました。
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