初めてのお客様
縁があると言うのならこの時から縁があったのかも知れない。僕の初乗務は法事へ向かうお客様から始まった。即ち、一人乗務はじめてのお客様は黒い恰好をした男女のお客様だった。
「丸沼霊園までわかる?」
正直解らなかった。営業所からよく出る目的地のリストにも載っていないし、これは困ったぞと開始5秒で困り顔だった。
しかも、2台合わせてのご利用だったのでパニックになった。

解らないです、申し訳ありません。お調べしてもよろしいですか?
「じゃあ良いよ。他の運転手さんのところ行くから」
いきなり心が折れる瞬間だったけど、隣にいた先輩が僕に合図した。「ついて来いよ」そんなアクションだった。

お客様?隣のタクシー僕の先輩なのですが、先輩についていけば解りますから、対応させて頂いてもよろしいですか?
自信はなかったけど口から出た言葉はそれだった。
「うん良いよ」
これで契約も完了。初めてのお客様は思い出話と共に、僕のタクシーをご利用された。
「新人なの?」

はい。今日が初乗務です
それは大変だと笑顔で話しかけてくれた。この街も変わったねとか、また3年後に来なければと話していて、僕は受け答えながら言った。

また3年後も僕の所へ会いに来てください
「その頃まで覚えてられないよ」
そんな会話に笑顔で目的地まで乗ってくれた。降りるときにお客様が言った。
「ありがとう。じゃまた3年後に」

はい!お待ちしています
静かにドアを閉めて、前に止まっていた先輩に挨拶して駅に帰ったんだ。法事のお客様と縁がある。これは今思えば最初からだったんだね。
ありがとうという感謝の言葉が、僕の記憶に残された。
どんどんいこう
それは新人の頃、道の勉強だと思い知らない道へ車を進めた1時間後だった。
簡単に言えば、道に迷った。
ナビに頼らずに帰らなきゃと思ったものの、大きな通りを探していて困っていたんだ。その時、バス停付近で手が上がった。バス停の半径10メートル以内にタクシーは止まれない。ブレーキを踏みながらバス停を過ぎたところで停車してドアを開けた。
道なんて解らないし、自分が何処を走っているのかもわかっていない。

お待たせしました。地元のタクシーでは無いのですが宜しいでしょうか?
「うん。大丈夫だよ。鶴見までなんだけど道わかるから案内するよ。どんどんいこう!」
ノリのいいオジサンで良かった。ほっとしたけれど、鶴見までここから幾らかかるのかもわからなかったし不安だ。
そんな気持ちとは裏腹に乗車されたお客様は、僕に話しかけてきた。
「この通り、広い割には中々タクシーがつかまらなくてね困っていたんだよ。いや助かったね」
扇子を広げパタパタと仰ぎながら楽しそうに会話を始めた。

陽も出てきて暑いですからね、お客様に会えてよかったです
こんな切り口から僕は車を発車させた。
「毎日が仕事でね、この10年休みが無いんだよ。とは言っても、家族も彼女も色々といて楽しい毎日を過ごしているんだけどね」
「それは楽しい毎日ですね」
彼女といった言葉に疑問符が頭の中に出てきたが、知らない道を走る事もあり、深く考えなかった。
見た目が50代のお客様は、しゃべり続けながらも道を教えてくれる。正直、教えてもらった道なんて全く覚えていなかった。
「この前受付の女の子にね、連絡先渡されたんだよ!でも娘と同じ年でさ。25の女の子と付き合ったらどうなんだろうね?娘に気まずいよね」
気まずいと言うよりも、彼女ってそういう意味なのかと理解して、僕はハンドル操作を誤らないように細心の注意を払いながらお客様との会話を続けた。

人生なんて自分のためにしかないと思いますから、誰かにとっての時間ではないと思いますし、愛した人がたまたまそうだったなんて事もあると思います。答えは人それぞれにあるものかも知れません
「そのとおりだ!どうせ男も女も見えないところで何してるかなんてわかったものじゃないだろう。稼げば良いだけの話だし、男だけが女を裏切るわけでもない、女もまたメスでしかないと思うんだよ。墓場まで持っていくヒミツなんて俺なんて結構あるからな。はははははは」
そう大笑いして大人の恋愛事情と、お客様の会社の事情を話し続けるオジサンだった。
僕は人を裏切ると言う事に疲れていた。小さいころから苦手だった。だけどこの人を見ていたら受け入れて、自分もその道を行く選択肢もあると教わった気がした。そうは言っても僕にはできない芸当なのだけれど、竹を割ったような清々しい笑顔に邪気を感じなかった。
そうなんだ。人は結局自分以外を裏切っても、大して傷付かない化け物なんだと再認識できた。
それでも尚、お客様は女性との恋愛話を楽しそうに続け、仕事の楽しさを時に語り10,000円近くの支払いを済ませて僕にこう言った。
「楽しい時間だったよ。お釣りはいらないから領収書に君の名前を書いてくれるかな?そっちでタクシーを呼ぶときは、君にお願いしたいと思うからさ」
僕は領収書にフルネームでサインして千数百円のチップを頂いた。そしてお客様が最後に僕に手を差し伸べたんだ。
「人は沢山の生き方がある。君はまだ若い。俺のような生き方も君のような生き方も、きっと神様は見ている。最後になるけど握手してくれないか?」
そんな事を言われて断る理由もなかった。握手をした後お客様は笑顔のまま手を振った。何を言っていたのかはわからないけれど、僕が進路変更している時に口を開いて手を挙げていた。
障がい者であろうとも
「すいません手帳あります」
そうして僕は少し悲しい気持ちになる。すいませんと言うのはいらないと思ってしまう。当然の権利なのにと思うからかな。

かしこまりました
障がい者割引ボタンを押して目的地へ走り出した。お客様は乗車中リラックスしているようで、飲み物をのみながらスマホを胸に抱いていた。指定したルートは渋滞だったにもかかわらず焦った感じには映らなかった。

お客様渋滞のようですが、経路は変更されますか?
時間でメーター料金も上がってしまうのだから、遠回りになるコースでも、結果早く着く場合もある。僕はお客様と相談した。
「このままで良いです」
そう言われたのだから渋滞を楽しむほかない。頭の中で自分が好きな音楽を再生しながら、ハンドルをコツコツ叩きながら、渋滞時間と静かな車内を楽しんだ。
目的地付近の道は狭く通りたくないなと考えながら、ゆっくりとハンドルを回しこすらないように道を急いだ。お客様は「狭いから気をつけてね」と気を使ってくれていた。

この辺りでよろしいですか?
目的地周辺で声を掛けた僕に、お客様は支払いのお釣りを受け取って、200円を僕に手渡してくれたんだ。
「嫌な顔を1つもせずに送ってくれてありがとう」
嫌な顔?道が狭かったからかな?そう思い僕は返した。

お客様へ嫌な顔なんて出来ませんよ。いつでもご利用ください
「ううん。障がい者手帳を見せると嫌な顔する人がいるから」
差別なのだろうか?
僕は嫌な気持ちにさせられるお客様は苦手だ。だけど障がい者へ偏見を持ったことは無い。でも毎日を障がい者とされる人達は、敏感に生きているんだと心が苦しくなった。

お客様?僕は嫌に思いませんよ。人はそれぞれ思い込みの中で生きていますから、お客様を苦手に感じるドライバーもいるのかも知れませんね。僕はまたお客様とお会いしたいです
うんと頷いたお客様は、僕が進路を変えるまでずっと手を振ってくれた。
小雨の中ずっと。
あなたのために出来る事
これは僕が自腹料金で対応した初めてのお客様の話。
この日の僕は小さな駅でお客様を待っていた。いつもならお客様の列が出来て、1時間辺り5回程回転する駅だったけれど、乗り場は誰もいないまま。バスの終わった乗り場の椅子に、OLが脚を組んでうつむいたままヒールをぶらぶらさせて寄っかかっていた。
酔っぱらいかなと思い気にも留めずお客様を待っていた。
視界にはうつむいてダルそうに椅子に腰かけるOLだけが、変わらない景色の一部として張り付いたまま。次の電車のお客様も乗車される事なく、15分ほど待機時間になってしまった。

あの人具合が悪いのかな?
気になりだした頃、お客様が乗車された。変わらない金額の近い距離。ワンメーターのお客様を対応すると駅に着いた頃まだOLは、来るはずの無いバス停の椅子でヒールをぶらぶらさせていた。

すいません。こんばんわ
僕はなんだか気になってタクシーを降りて声を掛けに言った。だってもうバスは来ないんだ。これから寒くなるし、そのまま何かを待っていても誰もこない。
「あっ、こんばんわ」
OLの女の子は返事をしてくれた。

あの僕、タクシー会社の者なのですが?お困りですか?しばらくそこに休まれてるようなのでお手伝いできることがあればと思って声を掛けさせていただいたのですが・・・・・・
OLはお金が無いことと、具合が悪いこと。歩いて帰るにもどうにもならないし、迎えに来てくれる人もいないから休んでいたと言った。
僕は少し悩んだ。
お金が無いと言われているのにタクシーを「乗れば」とも言えないし、救急車を呼ぶほどでは無さそうだなと思ったからだ。そうは言っても何故だかこの時間にお客様が来ないのだから、この人を無視してタクシーで待機するのも気が引ける。

お住まいはどちらですか?
「緑の街の6丁目です」
2,000円位の距離だった。
一瞬会社に電話して、この人を乗せて良いか聞こうとしたけど、答えはNOであることを知っていた僕は、道の詳しくない場所へ走ると思い勉強の為にと口実を付けた。

もしよかったら送らせてもらえますか?僕そっち方面は行ったことも無いので勉強したいんです。お代は結構ですから送らせてもらえませんか?
「そんな悪いですよ」
OLは良識のある方で熱のある中、僕の会話を受け応えてくれた。僕は一度引こうと思ったけれど、条件を考えて相談した。

今回はお代は僕が払います。その代わり今後、タクシーを利用する機会があればその時に新人でも優しくしてあげてください。そして具合の悪い中恐縮ですが、経路を教えてもらえませんか?道案内して頂ければ勉強になりますから僕にとっても悪い話じゃないです
口の端を釣り上げて無理に作った笑顔が印象的だった。
「ではすいませんがお願いしても良いですか?」
そう言って、OLのお客様になった彼女は僕の後部座席にだるそうに座った。道案内とは言ったものの目的地の付近までは解るから、解らなくなったら声を掛けると話して横になってもらった。
【シートベルトお願いします】と無意味な機械音が鳴り、僕は目的地へ自腹で走るのだ。目的地周辺で声を掛け、頭に入るはずの無い道を勉強するふりをしてお客様を送った。
「助かりました。本当にお金は大丈夫ですか?」

大丈夫ですよ。こちらこそありがとうございました
領収書を手渡してドアを開けた。その時に彼女の名刺をもらった。ふらふらと家に歩き出した彼女を見て、日報を記入して終電へ向けて駅へ走ったのを覚えている。
僕は偽善者でも良いなと思った時だった。
翌日に営業所へお礼の電話が鳴り、僕が自腹営業した事がバレた記念すべき日になった。「ほっとけよ」と言った上司や先輩の顔を忘れないだろう。
そしてお客様の「助かりました」と言う言葉も忘れないんだ。
僕は初めての報告書を1枚記入した。
3号棟へお願いします
目的地をマンション名で告げられるお客様が多い地域で、僕は営業している。
半径5キロでマンションは数えたくないほどそびえているのに、毎日忘れてしまったマンション名を聞き直しては不機嫌になられる瞬間が、僕は大嫌いだ。顔には出さないけれど優しくどこそこのあたりのマンションと言ってくれれば、思い出せるかも知れないのにな。
「丸鶏ハイツ3号棟まで」
今日もそんなマンション名を告げられ、僕は汗びっしょりだった。

すいません。お客様?3号棟ってどちらから曲がるのでしたっけ?
話し方もなかなか動揺を隠せないまま、若い女性とお母さんらしいお客様は、優しく教えてくれたんだ。これなら安心だ。目的地周辺までは解るし、困らないだろうと車を走らせるとすぐにお客様から質問された。
「新人さんなんですか?うちのマンション大きいから皆さんご存知なので」
それは先輩たちが凄いからだよと心の中で思うものの僕は言った。

新人ではありませんが、マンション名が未だに覚えられない地域最弱タクシードライバーかも知れません
親子で笑いが起きた後話は続いた。
「そうですよね?このお仕事大変そうですね。マンション名だけで目的地を言うのはやめますね」
それはありがたいけれど、お客様は優しく教えてくれたのだからいいと思っていた。
「やっぱりマンション名だけだと伝わりませんか?」

マンション名だと逆走しますね
ここでも笑いが起きて会話は止まなかった。
「お兄さん面白いですね」
どこが笑えるポイントだったのか解らないまま、僕は話に答えていた。
「やっぱりこのお仕事、変なお客も乗ってくるでしょう?」

僕はお客様に恵まれているので、テレビで見るようなトラブルに巻きこまれたことはありませんね。むしろお客様に迷惑を掛けている方だと思っています。道を間違えたりとか普通にしてしまいますからね。なのにお客様には笑って許してもらえています
「あぁそれは解る気がする。運転手さんの人柄がそんな感じです」

丸鶏ハイツも何度もいっているのですが、未だにすんなりと到着できないんですよ。道を間違えてしまい、お客様に「次、お会いする時には一発で行けるようにしておきます」と謝罪したのに、勉強する暇なく次の日に同じお客様が乗車されたんです。あの時は滝汗流しましたね。笑われてコーヒーを驕ってもらいました
「それって凄いですね。そこまでお客と仲良くなれるのなんて運転手さんだからですよね」
そうなのかなぁ?そんな風に思ってしまって苦笑いしたのを覚えていた。

と言うわけで頼りないドライバーですが、お客様の協力があれば事故だけは防げますから楽しく帰りましょう
「そうですね」
そんなやり取りをして、お客様は僕の事を質問しては笑って目的地へ着いた。
「六良さんのこと私も覚えてますからね」

はい。次お会いしたときと言うとすぐにお会いしてしまうかもなので1年後には3号棟へ一発で行けるようにしておきますから1年後お会いしましょう
「わかった!ありがとう」
その返事の数日後にこのお客様と再会し、道案内されたのはいい思い出になった。
あなたの事を忘れません
それは僕が苦手とする若い女の子のお客様だった。
すいません良いですか?みずの地区センターまでお願いします
そう言われたのはどこぞのアイドルグループにいてもおかしくない2人組だった。だけど僕は若い女性のお客様が大の苦手だ。
意味解らない不満を言うし、舌打ちしてくるし、コミュニケーション能力の無い勘違いちゃんが利用される事が多いからだった。

すいませんお客様。それどこでしたっけ?ちょっとわからないのでお調べしてもよろしいですか?
「はい大丈夫です。私もGoogleで調べますね」
こんなやり取りだったからひとまず安心した。ドキドキしてはいるけれど、嫌な気持ちにはならないぞと安心しまくった。
調べるとワンメーターで行けそうな距離だった。これには恥ずかしいやら、僕もまだまだだなと思うやら複雑だったんだ。

では発車しますね。ガクトを乗せた時並に緊張してますがよろしくお願いします
こんなジョークを飛ばして車を発車した。
「きゃー!ガクトに会ったことあるんですか!?」
いきなり黄色い声が車内を包んだのだけれど、ガクトを乗せたことは無い。会った事はあるけどね。

あるわけないじゃないですか。横浜市最弱のタクシードライバーですよ?今日一でお客様はアンラッキーですから
「何でですか?私達今楽しいですよ?」

お客様の目的地まで無事に辿り着ければですけどね
そんなブラックなジョークも飛ばした。
「大丈夫です、私達六良さんを信じてます」
いきなり名前を憶えられた。

そ、そうですか。お客様の目的地始めて行くので、間違えてしまったらすいません。出来る限り安全で快適に辿り着けるように努めますので。1万円は掛からないと思いますから
「そんなにかかるんですか!」
そんなわけない。どう考えてもワンメーターだ。

僕が道を間違えてぐるぐる回らなければ大丈夫です!
「六良さんなら大丈夫ですよ」
すっかり卵からかえった雛を目の前にしたお客様を見た気分になった僕は、事故だけは無いように走ったんだ。すんなりと目的地に着いた時に彼女たちに言われた。
「私、六良さんの事絶対忘れません」

ありがとうございます
お子様用に配るお菓子をお客様に手渡して心の中で返事した。僕はきっと君の事忘れてしまっていると思うよ。
そんなリトルラブストーリーもタクシーには時々あるみたいだ。





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